ミャクミャク
定点観測記
最初は「なんだこれ」だった。
最後は、待ち合わせ場所になっていた。
覚えている人も多いと思う。2020年の夏、万博のロゴマークとしてあの「赤い細胞の輪」が発表されたとき、日本中が一瞬フリーズした。SNSは「なんだこれ」で埋まり、誰かが「いのちの輝きくん」と呼びはじめた。正直、自分も笑った側だった。それから五年。気がつけば、会場に着いて最初に挨拶する相手も、帰りぎわに振り返る相手も、あの目玉だらけの何かになっていた。これは、半年間ミャクミャクを撮り続けてしまった人間の、観測記録である。
「なんだこれ」から、
すべては始まった。
整理しておくと、2020年に発表されたのはロゴマークだった。赤い細胞の輪。あの戸惑いの二年後、ロゴから生まれた公式キャラクターが発表され、愛称は「ミャクミャク」に決まった。由来は「脈々と受け継ぐ」の脈々。モチーフは細胞と水。
会期が始まってみると、あの「なんだこれ」こそが最強の武器だったことが分かる。かわいいだけのキャラクターは、見た瞬間に消費されて終わる。ミャクミャクは一回、心に引っかかる。引っかかった分だけ、記憶に残る。
定点観測、
はじめてしまった。
動画を撮るとき、いつも画面の隅に日付と入場者数を入れていた。あとから見返すと、それは図らずも、ミャクミャク像のまわりの「人口密度の記録」になっていた。
5月9日、入場者8万5千人。9月3日、14万4千人。9月18日、20万人。
半年間、像は一歩も動いていない。同じ場所で、同じポーズで、同じ笑い方のまま。変わったのは、まわりの人間の数だけだった。
閉幕が近づくほど、「間に合ううちに会っておこう」という顔の人たちが増えていく。定点観測というのは、対象を観察しているようでいて、実は対象の“まわり”を観察する行為なのだと、あの像に教わった。
半年間、一歩も動かずに、いちばん多くの人と写真を撮った。会場のMVPは、案外こいつかもしれない。
会場のどこにでも、いた。
定点の像だけじゃない。歩けば必ず、どこかでミャクミャクに出会った。西ゲートには両手を広げた立ち姿、くら寿司の近くには寝そべり、海沿いには電飾仕立て。
正面の笑顔しか知らなかったから、初めて背中側に回ったときは、少し得した気分になった。背中は、ただの青い丘だった。この無防備さも含めて、公式である。
“動くほう”と、目が合った。
像と違って、着ぐるみのミャクミャクは動く。歩幅は小さく、手を振る速度は、驚くほど丁寧だ。子どもが駆け寄ると、腰を落として同じ目線になる——目が多すぎて、どの目線かは分からないのだが。
周囲の大人たちのカメラの構え方が、有名人を撮るときのそれだった。半年で、あの赤と青はそういう存在になっていた。
夜のミャクミャクは、
少し違う顔をする。
日が落ちてから、海沿いの遊歩道で電飾のミャクミャクに会った。昼間のポップさが抜けて、深海生物のような静けさをまとっている。
細胞と水がモチーフだと知ってから見ると、夜の姿のほうが「本体」に近い気がしてくる。後ろは大阪湾の夜景。あの像の定位置は、会場でいちばん贅沢な特等席だったと思う。
閉幕しても、
街で働き続けている。
閉幕からしばらく経った頃、街なかのデジタルサイネージに「EXPO 2025 LAST DAY THANK YOU! OCTOBER 13」の画面が流れているのを見つけた。万博は島の上で終わったのに、ミャクミャクは普通に街で仕事を続けている。
実際、キャラクターのライセンスは閉幕後も引き継がれて、公式グッズの販売は2028年まで続く予定だという。任期の長いマスコットである。
「なんだこれ」は、
五年かけて「またね」になった。
1970年の太陽の塔も、生まれた当時は賛否両論だったと聞く。半世紀経ったいま、あれは誰かの原風景だ。
だとしたら、あの赤い目玉たちにも同じ未来が来る。50年後の誰かが「子どもの頃、夢洲でこれと写真を撮った」と話すとき、ミャクミャクという名前は、ちゃんと意味の答え合わせを終えているはずだ。脈々と、受け継ぐ。
観測記録、全部見せます。
定点の像から、寝そべり、夜の電飾、街のサイネージまで。半年間のミャクミャク観測アーカイブです。タップまたはクリックで拡大表示できます。