一年後の春、
リングのかけらに触れた
万博は終わっていなかった。
かたちを変えて、公園にいた。
開幕からちょうど一年の2026年4月12日。「EXPO 2025 Futures Festival」という一周年イベントが万博記念公園で開かれると知って、朝から電車に乗った。会場が夢洲じゃないことに、最初は少しだけ違和感があった。でも、着いてみて分かる。1970年の万博の跡地で、2025年の万博の一周年を祝う——これ以上ふさわしい場所は、たぶん日本のどこにもない。
閉幕の夜、ガラスの扉に
書かれていたこと。
話は半年前にさかのぼる。閉幕間際の夢洲で、施設のガラス扉が寄せ書きだらけになっているのを見た。大きな「感謝」の字のまわりに、読めない文字のありがとうが幾重にも重なっていた。
あれを見たとき、正直「これで終わりなんだ」と思った。——半年後の春、その考えは訂正されることになる。
駅を降りたら、太陽の塔と
ミャクミャクが並んでいた。
モノレールの駅構内に、太陽の塔のミニチュアと、ミャクミャクのバルーンが並んで置かれていた。1970年生まれと2025年生まれ。55歳差の二体が同じ台の上にいる光景は、この公園でしか成立しない。
太陽の塔だって、生まれた当時は「なんだあれは」と言われたはずだ。半世紀経つと、みんなの原風景になる。隣の後輩にも、たぶん同じ未来が来る。
スタンプ帳の表紙に、
「未来のつづき」とあった。
受付でもらったスタンプパスポートの表紙には、こう書いてあった。「未来のつづき、ミャクミャクと。」うまいことを言う。芝生に座って、しばらく表紙を眺めてしまった。
中面には会場MAP。FuturesゾーンとFood & Marketゾーン。「7つ集めて、それぞれの未来へ進もう!」。夢洲の「並ぶ・待つ・あきらめる」と違って、公園の万博はぜんぶが徒歩数分の距離にある。あの半年のダイジェストが、散歩サイズに編集されていた。
大屋根リングは、
90ミリ角になっていた。
この日いちばんの目当てが、「Futures Piece Project 01 — Grand Ring Pieces」だった。解体が進む夢洲の大屋根リングの端材を、90mm角のキューブに切り出し、実際のリングと同じ柱割りで並べたインスタレーション。
説明板の最後の一行が、たまらなかった。「キューブを軽く押すと、少し横に揺れる様子がかわいいです」。公式の看板が「かわいいです」と書いてしまう。この距離の近さこそ、あの万博の体温だったと思う。
指先で押すと、木は確かに、こく、と揺れた。全長2キロの木造建築が、手のひらサイズになっても「揺れるとかわいい」でいてくれる。
解体は喪失ではなく、配り直しなのかもしれない。そう思わせてくれる展示だった。
リングは小さくなったんじゃない。持ち運べるサイズに、なったのだ。
日傘の海と、スパイスの匂いと。
芝生広場には、あの夏の夢洲と同じ密度で日傘が咲いていた。閉幕から半年経っても、人はまだ「万博」と名の付くものに、これだけ集まる。
会場の一角では「カレーEXPO」が同時開催されていて、札幌のスープカレーやタンドリーチキンの屋台が湯気を上げていた。夢洲のリングサイドで嗅いだのと同じ、スパイスの匂い。食い倒れの街の万博は、一年経ってもちゃんと食から始まる。
万博は、場所の名前じゃなかった。
1970年の公園で、2025年のかけらに触って、2027年の横浜のことを考えた。万博というのは、開催地の名前でも半年間の会期のことでもなくて、たぶん「受け継ぎ方」の名前なんだと思う。
脈々と。——あのキャラクターの名前は、最初からぜんぶを言い当てていた。
一年後の春の、記録。
本文で紹介しきれなかった、EXPO 2025 Futures Festival の景色たち。タップまたはクリックで拡大表示できます。